DTMの終焉について。自宅が本当にスタジオになった日。

 DTMという言葉は、もはや死語かもしれません。というよりは打ち込み系という区別をする必要すらない時代なのかも。そのくらい音楽の在り方がフラットになっているのではないでしょうか。コンピュータと音楽制作をめぐる、現在の状況へと至る時代の流れについての考察です。

DTMは終わったのではなく、
音楽制作そのものになっただけ

 コンピュータそれ自体については、音楽とコンピュータ。なぜパソコンにイラつくのか。という記事を書いています。

むしろコンピュータでの音楽制作が主流

 ある意味で、もうDTMというものは存在し得ないのかもしれません。 それはコンピュータを使った音楽制作こそ、もはや主流であり、規模などを除けば理論上プロとアマの差が限りなく少なくなったからです。(現実的にはありますが。)

 元々は家庭向けのコンピュータを利用した、ホビー(趣味)です。しかし、早い段階(80年代)から一部のプロは、コンピュータによる音楽制作に目をつけていました。しかし、当時はまだまだ発展途上の技術でした。プロの間では90年代後半から、より本格的なデジタル化が進みましたが、それが2008年以降で一気に状況が変化したのだと言えます。

 シンセサイザー、あるいはシーケンサーなどの電子機械をつかった音楽とは、区別して考えています。ここでは、あくまでコンピュータ本体を使用しての音楽製作を指します。

 楽器、あるいはそれを操るミュージシャンを主体に音楽はもちろん依然としてありますし、ふたつのスタイルが混在した音楽も存在しています。その境目は、年々薄くなっているように思いますし、DTMスタイルから生まれたEDMというジャンルが(EDMがジャンルなのかについては、一考の余地アリと自分は考えていますが、その話は次の機会に。)今やメインストリームになっています。

 別に悲劇的なことではなくて、わざわざ区別する必要がなくなってしまった、と言えます。それは時代の流れによる、自然な現象であると捉えるべきです。例えば初音ミクがDTMを殺した、という説もありますが、果たしてそうでしょうか?

Youtubeでこのような動画を見つけました。

 1988年の海外のテレビ番組?で、“コンピュータを利用する音楽制作”を取り扱っています。内容を要約すると、自宅がスタジオになる、ミュージシャンに気兼ねすることもない!

スゴイ時代になったもんだ!みたいな話です。

 ところで”DTM”というのは、日本のみの造語のようです。でもここでは、海外におけるコンピュータでの音楽制作も便宜上、”DTM”とします。コンピュータで自宅をスタジオに!!というのが、その根源となる思想であり、目指すべき到達点だったと思います。しかし、そもそもの流れとしては、家庭用コンピュータの普及があってのものです。

この動画に出てくる、少し分厚いキーボードこそが『コモドール64』という世界における、最も普及した家庭用コンピュータです。 ブラウン管テレビをディスプレイとして使っています。

コンピュータの家庭への普及

 80年代から、このコモドール64だけでなく、家庭向けのコンピュータが多く発売されるようになり、それを仕事だけでなく、ゲームや趣味に使おう!という流れが生まれてます。この流れはかなり大事です!

 それが今日における、コンピュータでの音楽制作の源流を生み出したわけです。DAWソフトである、CubaseATARI STというホビーパソコンの“Pro 24”というシーケンサーソフトが元になっています。(またSamplitudeも元はAmigaにおける24bitサンプラーが元になっています。)

 当時の状況としては(80年代後半から90年代前半)、コモドールはSIDチップを使った内蔵音源がありますが、他のコンピュータでまともに音を出したいなら、各自、別にサウンドカードを用意したり、MIDI音源をつないでゲーム側で設定して、ゲーム内の音楽をその音源を通してリアルタイムで鳴らす、というようなことが必要でした。そもそも、コンピュータ上で音を扱うことはあまり想定されていなかったようです。

 ※RolandのMT-32という外部音源モジュールを繋げてのサウンドが聴ける動画です。解説動画なので少し長いですが、各音源の差を聴くことができます。(比較が始まる部分から始まります。3:48~)MT-32は当時なりのサウンドクオリティですが、やはり圧倒的なサウンドです。

 今となっては(つまりデジタル・オーディオの発達によって)ロストテクノロジーでしかなく、めんどくさいだけかもしれません。まぁ自分もYoutubeなどネットで調べただけで、もちろん実体験はしてないですが、でも逆に熱い時代だったようにも思えますね。ゲーム用に音源を用意するなど豪華に思えますが、当時はCD自体も普及し始めたころで、そういうレヴェルだったようです。

 コンピュータがより現実的に使い物になりだすのは、Windows95を起点とした、2000年以降だと思います。 それは、コンピュータで何でもできるんだというダイナブック構想の現実化です。

“ダイナブックとは、GUIを搭載したA4サイズ程度の片手で持てるような小型のコンピュータで、子供に与えても問題ない低価格なものである。同時に、文字のほか映像、音声も扱うことができ、それを用いる人間の思考能力を高める存在であるとした。”


wikipedia:ダイナブックより引用

 これはつまり、iPad等のタブレットそのものなんです。画像見るとホントにそのまま。

手の平サイズのコンピュータ

 つまり、今現在コンピュータをめぐる環境がどうなったかは言うまでもありません。家庭に一台どころか、スマホという形で一人一台という時代になってしまいました。常に手元にあります。

 そして、それはこうした時代の家庭用コンピュータをはるかに凌ぐ性能です。これって良く考えればすごいことだと思うんです。空とぶ車は実現しそうにありませんが、近未来に生きてますよ、僕ら。

それが当たり前になってしまって、意識することはありませんが。

誇大表現ではなくなってしまった!

 言ってしまえば『自宅がスタジオになる!ミュージシャンもいらない!』 という謳い文句は、当時においては一つの夢物語であり、キャッチコピーに過ぎない部分もあったと思います。

 上の動画を見てもわかりますが、そのサウンドは生の楽器と比べたら、かなりチープなものです。もちろんそれはそれで、ひとつのスタイルになり得るわけですが。(チップ・チューンなど)

 MIDIを通して、外部シンセサイザーは鳴らせましたし、そういうスタイルで作品を作っていた人たちはいたにせよ、あくまで“代用”というスタイルであり、やはり大規模なスタジオで作りこまれた音楽が主流でした。

 プロ用のコンピュータによる音楽制作ツールとしては、やはりPro Toolsの登場がひとつのターニング・ポイントだと思いますが、radio headの『OKコンピュータ』に使われたのが97年なので、ここを節目に、やはりこの20年で状況が一気に変わったのだ、と思います。

ものすごいスピードでの進化

 特にこの7,8年(2018年現在)でしょうか。デジタルによる音楽制作は急速に進歩しました。特にソフトが、どんどん進歩して来ました。DAW、ソフトシンセやプラグインなど性能は上がり続けてきました。

 その結果、音響の問題(遮音性、音響特性、スピーカー)を度外視すれば自宅であっても、プロ級のサウンドが、安くはないが非現実的ではない費用で生み出せるようになってしまったわけです。

 日本の住環境だと自宅のスタジオ化は防音の面でなかなか難しいですが、しかし間違いなくコストはとんでもなく安くなってます。

 もちろん技術、知識は必要ですけどね。 しかし、それも日本でも海外でも既にネットを通じ、ミキシング等を学べる手段はかなりあります。

 コンピュータでの音楽制作は、あくまで傍流の存在であり、趣味の世界でした。もちろん、現在でも趣味としての音楽制作はあるわけで、そこは変わりません。しかし、事実上、わざわざ分ける必要がなくなってしまったわけです。スマホですら、音楽制作できてしまう時代です。もはや手のひらミュージック。

 そうした状況では、もう別に自宅がホントにスタジオをであり、 一日中、作ってはいられるわけですし、ミュージシャンは逆に何をすべきか?という話にもなってきますね。 曲を作ったら、その日のうちに、それなりに試聴に耐え得る音源が 自宅で出来てしまうわけですからね。

“宅録”という言葉も死語になる?

 コンピュータが発展途上の中でも、安価なMTR自体は存在し、実際にMTRで作った音源を作品として発表するミュージシャン達もいたわけです。世界でも日本でも。ラヴ・サイケデリコのデビューアルバムもMTRでの宅録、と聞いたことがあります。

 むしろ90年代までは、廉価MTRの方がミュージシャンにとって親しみのあるものだったわけです。逆に今でも、パソコンを嫌いMTRを使いたい人たちがいて、TASCAMから新しいMTRが発表されたりしましたね。

TASCAM DP-24SD

 TASCAMのカセットテープであったりMDを使ったMTRが、自分が10代の頃はギリギリ存在しえたので、振り返ってみると感慨深いですね。結局その類のものは自分は買わなかったですが。

 プロフェッショナルな録音と比べれば、音は当然しょぼいんですが、それはそれでDIY精神あふれるいい意味でのローファイ感、チープ感であったと思います。今となっては、ノスタルジーかもしれません。今あえて、求められるサウンドではないように思います。

 宅録であっても、それなりの音質が求められるような時代になったんじゃないかと。(個人の考えです。)

 なおアメリカのトップチャートの中には、iPhoneとiRigというインターフェイスだけを用いて、制作されたものもあるようで、それはそれで音楽と音質の関係について考えさせられることだと思います。今の安インターフェイスも質いいっすからね。音質が全てではないと。それも時代の流れですね。

 個人的に筆者が好きな、ジョン・フルシアンテによるレッチリ復帰後初の音源は、正にMD式のMTRによるもので、リズムマシンはElektronによるMaschin Drumだったりと、2000年代初頭の音です。このアルバムは好きなんですけど、今となってはいい音で聴きたいなぁというのが本音です。で、ジョン自身もここ数年の自分の作品は、コンピュータを使いつつもアナログ機材で録っているみたいですね。

いい時代だけど、把握するのは大変!

 自分の考えとしては、その気になれば下手なプロよりもいい音で、音源を作ることが出来得る時代になったこと自体はいいことだと思います。そういう意味では、趣味としての”DTM”は死んだ、かと。

 しかし、現実にはコンピュータを使いこなす、DAWやプラグインなどのソフトを使いこなすには、それなりの知識であったり、修練が必要ではあるわけです。情報も溢れかえっていますし、趣味としては、やはり苦痛なものになってしまうのかもしれません。

 なので、まとめてみるとDTMが死んだというよりは、技術が発展、完成されしすぎてしまって、逆にワクワク感がなくなってしまったこと。あるいは情報が増えすぎて億劫になってしまったことなんかが原因としてあるのではないかと思います。

 今となっては普通にWebブラウジングしたり、ネット通販したり、動画をしたりする程度では、わざわざパソコンを使う必要も、持つ必要もなくなってしまいました。最近の十代はパソコン使えない、とかも聞きますね。一般生活においては全部、スマホかタブレットで十分だからしょうがないんですが。

 でも、それなりの性能のパソコンを持っていれば、やっぱり、いろいろ広がると思うんですよね。

 なので、本サイトの活動目標として、そうした情報の海に振り回される人が少なくなるように、有益でリアルな情報をピックアップして、かつわかりやすい形で提示できたらと思います!よろしくお願いします!!

DTMの終焉について。自宅が本当にスタジオになった日。」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: AI(人工知能)で音楽シーンが変わる!ポイントは人間の知らない音

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